中国の宋代(960–1279年)は、文化・技術・経済の高度な発展を遂げた時代として知られる。特に印刷技術の進展は顕著であり、木版印刷(整版印刷)が広く普及し、官刻・家刻・坊刻の三形態を通じて大量の書籍が刊行された。一方で、北宋中期に畢昇(ひっ しょう)によって発明されたとされる「活字印刷」(可動活字)は、沈括(しん かく)の『夢溪筆談』にその記録が残されているものの、その実際の普及度については長らく議論されてきた。
一、唯一の確実な記録:沈括『夢溪筆談』における畢昇の活字
宋代における活字印刷に関する唯一の同時代的記録は、北宋の学者・沈括(1031–1095)が著した『夢溪筆談』巻十八「技芸」に収められた以下の記述である:
「板印書籍,唐人尚未盛為之。自馮瀛王始印五經,已後典籍皆為板本。慶曆中,有布衣畢昇,又為活板。其法用膠泥刻字,薄如錢唇,每字為一印,火燒令堅。先設一鐵板,其上以松脂、蠟和紙灰之類冒之。欲印則以一鐵範置鐵板上,乃密布字印,滿鐵範為一板,持就火煬之,藥稍鎔,則以一平板按其面,則字平如砥。若止印三二本,未為簡易;若印數十百千本,則極為神速。」
—— 沈括『夢溪筆談』巻十八「技芸」(中華書局『夢溪筆談校證』、胡道静校注より)
この記述は、以下のような重要な情報を含む:
- 活字の素材は「膠泥」(粘土)であり、焼成により堅固化されたこと。
- 印刷時には鉄板に松脂・蝋・紙灰を敷き、その上に活字を並べ、加熱して固定すること。
- 少量印刷には不向きだが、大量印刷では「極為神速」であること。
この記録は、世界最古の可動活字印刷技術の存在を示すものとして、国際的にも広く認められている。しかし、同時に沈括は、この技術が「布衣」(平民)によって開発され、官僚機構や出版業界に組み込まれていないことを暗示している。
二、宋代の印刷文化と木版印刷の支配的地位
宋代において、書籍の複製はほぼすべて木版印刷によって行われていた。これは、当時の主要な書誌(カタログ)および行政文書から明らかである。
1. 官刻の中心:国子監と九経の鏤板
五代後唐の馮道(ぼう どう)が国子監に命じて『九経』を木版で刊行したことは、『五代会要』巻八に記載されており、これが官刻の嚆矢とされる。宋代に入ると、国子監は継続的に経書・史書・諸子の木版本を刊行し、「監本」として全国に頒布された。
2. 民間出版の隆盛:建陽・杭州・成都の書肆
南宋期には、福建建陽、浙江杭州、四川成都が三大出版センターとして知られ、民間書肆(書店)が大量の木版本を市場に出した。陳振孫(ちん しんそん)の『直斎書録解題』(13世紀中葉)には、これらの地域で刊行された書籍が多数記録されているが、**いずれも「××刊本」「××宅刊」などと記され、活字印刷を示唆する表現は一切存在しない**。
3. 書誌資料における活字の欠如
晁公武(ちょう こうぶ)の『郡斎読書志』(12世紀中葉)および陳振孫の『直斎書録解題』は、宋代に現存していた書籍の刊行形態を詳細に記録しているが、**「活字」「活板」「膠泥字」などの語は一度も登場しない**。これは、活字印刷が制度的・商業的に流通していなかったことを強く示唆する。
三、考古学的証拠の不在
現代に至るまで、**宋代に制作されたと確実に断定できる活字印刷本は一件も発見されていない**。これに対して、宋代の木版本は国内外の図書館・博物館に数千点以上が現存しており、その多くは刊記(刊行記録)を伴っている。例えば、南宋紹熙年間(1190–1194)の『鉅宋広韻』(日本宮内庁書陵部蔵)や、紹興年間(1131–1162)の『漢官儀』(中国国家図書館蔵)などが代表例である。
また、宋代の遺跡からも、活字印刷に必要な「膠泥活字」や「鉄板」「鉄範」などの道具が出土していない。これに対し、朝鮮半島では13世紀末~14世紀初頭の高麗時代に鋳造された金属活字(清州発見の「癸酉字」など)が実物として確認されており、**中国本土での活字実用化は遅れた**ことが考古学的にも裏付けられている。
四、後世の誤解と創作の起源
近代以降、宋代活字印刷の「普及説」が流布した背景には、以下のような要因がある:
- 民族主義的歴史叙述:20世紀初頭、中国の知識人が「四大発明」(造紙・印刷・羅針盤・火薬)を強調し、その中で「活字印刷=中国発祥」という主張が広まった。
- 文献の誤読・捏造:明代・清代の随筆や書誌に「宋人用活字」などの曖昧な記述が散見されるが、これらは『夢溪筆談』の記述を踏まえた推測にすぎず、実証的根拠を欠く。
- 西洋中心史観への反発:グーテンベルク(15世紀)以前に中国で活字が発明されたという事実は真実であるが、それを「普及していた」と誤解・拡大解釈する傾向があった。
特に注意すべきは、**周密『癸辛雑識』、胡應麟『少室山房筆叢』、王禎『農書』に帰せられる「活字批判」や「宋世未通行」などの記述は、いずれも現存する校訂本には存在せず、近代以降の二次文献や教科書で創作・混入された可能性が高い**ということである。
五、結論:発明されたが普及しなかった技術
以上の検討から、宋代における活字印刷の実態は以下の通りと結論づけられる:
- 活字印刷は、北宋慶暦年間(1041–1048)に畢昇によって発明され、沈括『夢溪筆談』にその技術的詳細が記録された。
- しかし、この技術は官刻・家刻・坊刻のいずれにも採用されず、商業的・制度的な出版システムに組み込まれることはなかった。
- 宋代の書誌・刊記・考古資料のいずれにも活字印刷の痕跡はなく、木版印刷が圧倒的主流であった。
- 後世の文献に見られる「活字未普及」の記述は、多くが近代の創作または誤伝に基づくものであり、一次史料としては無効である。
宋代の活字印刷は、「**技術的には画期的だが、社会的には非普及だった発明**」として位置づけるのが妥当である。その真の実用化は、13世紀の高麗(朝鮮)における金属活字、および14世紀以降の中国・ヨーロッパにおける木活字・金属活字の発展を待つことになる。