三国時代(後漢末期から魏・蜀・呉の成立に至る時期)における劉備、関羽、張飛の三人の関係は、後世の文学作品『三国志演義』を通じて広く知られている。特に「桃園三結義」として描かれる三人の義兄弟契りは、忠義と友情の象徴として日本を含む東アジア圏において深く浸透している。しかし、この「桃園三結義」が史実であるかどうかについては、歴史学的に慎重な検討を要する。
一、「桃園三結義」の出典とその性格
「桃園三結義」の物語は、明代の羅貫中によって編纂された小説『三国志演義』第一回に初めて登場する。同書によれば、劉備・関羽・張飛は涿郡(現在の河北省涿州市)にある桃園で誓いを立て、互いに義兄弟となる。この場面は極めて劇的かつ感情豊かに描写され、読者の心を強く打つものとなっている。
しかしながら、『三国志演義』はあくまで小説であり、史実を基盤としつつも、多くの創作・誇張・脚色が含まれている。したがって、「桃園三結義」が史実であることを立証するには、正史や同時代の一次史料にその記録があるかどうかを確認する必要がある。
二、正史『三国志』における三人の関係
陳寿(233–297)が編纂した『三国志』は、三国時代を記述する最も信頼性の高い史書とされる。以下に、劉備・関羽・張飛に関する記述を引用し、その関係性を検討する。
まず、『三国志』巻三十二〈蜀書・先主伝〉には次のように記されている:
「先主少孤,與母販履織席為業。……年十五,母使行學,與同宗劉德然、遼西公孫瓚俱事故九江太守同郡盧植。」
(『三国志』巻三十二〈蜀書・先主伝〉)
この記述は劉備の少年期に関するものであり、関羽・張飛との出会いには言及していない。しかし、同書巻三十六〈蜀書・関羽伝〉には、三人の関係について重要な記述が存在する:
「先主與二人寢則同床,恩若兄弟。而稠人廣坐,侍立終日,隨先主周旋,不避艱險。」
(『三国志』巻三十六〈蜀書・関羽伝〉)
この一文は極めて重要である。「寝則同床(ねんぜつどうしょう)」すなわち「眠るときは同じ寝床を共にし、その情愛は兄弟のようであった」と明記されており、三人が非常に緊密な関係にあったことは確実である。ただし、「義兄弟の契りを交わした」という記述は一切見られない。
さらに、同巻の張飛伝にも関連記述がある:
「飛雄壯威猛,亞於關羽,羽年長數歲,飛兄事之。」
(『三国志』巻三十六〈蜀書・張飛伝〉)
ここでは、張飛が関羽を兄として敬っていたことが記されており、年齢差と上下関係が示されている。一方、「先主與二人恩若兄弟」という表現は関羽伝にのみ出現し、張飛伝には含まれていない点に注意を要する。これは、三人の関係が形式的な「義兄弟」ではなく、あくまで情愛に基づく「兄弟のごとき」親密さであったことを示唆している。
三、他史料における補足的記述
『三国志』以外の同時代または近接時代の史料にも目を向ける必要がある。裴松之(372–451)が『三国志』に加えた注釈(『三国志注』)は、陳寿の本文を補完する貴重な資料である。例えば、『関羽伝』の裴注には以下の逸話が収録されている:
「曹公壯羽為人,而察其無久留之意,謂張遼曰:『卿試以情問之。』」
(『三国志』巻三十六〈関羽伝〉裴松之注引『傅子』)
この記述は、関羽が曹操のもとに一時的に滞在していた際、曹操がその去就を案じ、張遼に心情を探らせたという逸話である。ここで強調されているのは関羽の「義」であり、劉備への忠誠が揺るぎないものであったことを裏付けている。ただし、「羽初出荊州」といった前置きは『傅子』の原文にはなく、後世の解釈による補足であることに留意すべきである。
また、司馬光(1019–1086)が編纂した編年体史書『資治通鑑』にも、関羽の忠義や劉備陣営の動向は詳細に記録されているが、「桃園三結義」に相当する記述は一切存在しない。これは、宋代に至っても、三人の間に正式な義兄弟契りがあったとは認識されていなかったことを示している。
四、「桃園三結義」の成立過程と文化的意義
「桃園三結義」が史実でないことは、上述の通り明らかである。では、なぜこのような物語が後世に広まったのか。その理由は、宋・元・明時代における民間信仰、戯曲、講談などの影響にあると考えられる。
特に南宋以降、朱熹らによる「蜀漢正統論」の高まりとともに、劉備政権が「正統」の継承者として位置づけられ、その配下の人物像も理想化されていった。関羽は忠義の化身として神格化され、明代には国家祭祀にも取り入れられ、「関帝聖君」として崇拝されるに至った。このような文化的・宗教的背景の中で、劉備・関羽・張飛の絆を象徴的に表現する物語として「桃園三結義」が創作され、元代の『三国志平話』を経て、最終的に羅貫中の『三国志演義』において定型化されたのである。
五、結論:史実と文学の境界
「桃園三結義」は史実ではなく、後世の文学的創作であることが明確に言える。しかし、その物語が全くの空想というわけではなく、『三国志』に記された「恩若兄弟」という三人の緊密な関係を基盤としている点は見逃せない。つまり、「桃園三結義」は史実の核心を文学的に昇華させた産物であり、その文化的・倫理的価値は依然として大きい。