中国三国時代の蜀漢の丞相として知られる諸葛亮(しょかつりょう、181年-234年)は、後世において神格化され、軍略家・政治家としてのみならず、超自然的な力を有する人物として描かれることがしばしばある。特に「赤壁の戦い」における「東風を呼ぶ」逸話は広く知られ、彼が気象を操ったとする伝承は、小説『三国志演義』を通じて深く一般に浸透している。しかし、史実としての諸葛亮は果たして本当に「呼風喚雨(こふうかんう)」——すなわち風を呼び、雨を降らせる能力を持っていたのだろうか?
正史『三国志』における諸葛亮の描写
まず、最も信頼性の高い史料である陳寿(ちんじゅ)の『三国志』(西晋、3世紀末成立)を参照する必要がある。『三国志』は後漢末から三国時代にかけての史実を記録した正史であり、諸葛亮に関する記述は主に巻三十五『蜀書・諸葛亮伝』に収められている。
「亮躬耕隴畝,好為《梁父吟》。身長八尺,毎自比於管仲、樂毅,時人莫之許也。」
——『三国志』巻三十五『蜀書・諸葛亮伝』
この記述からも明らかなように、陳寿は諸葛亮を卓越した政治家・軍略家として評価しつつも、その能力をあくまで人間的・現実的な範囲内に留めており、いかなる超自然的行為や奇蹟も記していない。特に「風を呼ぶ」「雨を降らす」といった類の記載は一切存在しない。
『三国志演義』における神格化された諸葛亮
一方で、明代の羅貫中(らかんちゅう)によって編纂された小説『三国志演義』(14世紀末~15世紀初頭成立)では、諸葛亮はしばしば神秘的な存在として描かれる。特に第四十九回「七星壇諸葛祭風 三江口周瑜縱火」では、赤壁の戦いの前夜、諸葛亮が東風を呼び起こすために祭壇を築き、祈りを捧げる場面が詳細に描写されている。
「孔明曰:『亮雖不才,曾遇異人,傳授奇門遁甲天書,可以呼風喚雨。今值冬月,但有西北風,安有東南風?吾當於南屏山建一台,名曰七星壇:高九尺,作三層,用一百二十人,手執旗幡圍繞。亮於台上作法,借三日三夜東南風,助都督用兵。』」
——『三国志演義』第四十九回
この記述は明らかにフィクションであり、歴史的事実ではない。しかし、このエピソードは後世の文化や芸術、さらには民間信仰に大きな影響を与えた。ただし、これは文学的表現であり、史実とは峻別されるべきである。
古代中国における「呼風喚雨」の思想的背景
「呼風喚雨」という概念は、古代中国の道教および陰陽五行思想と深く結びついている。例えば、『後漢書』(范曄著、5世紀成立)には、道士や方士が天候を操作する能力を持つと信じられていた事例が記されている。
「張魯……其來學道者,初皆名鬼卒。受本道已信,號曰祭酒。……能致風雨,役使鬼神。」
——『後漢書』巻七十五『劉焉袁術呂布列伝』
また、『抱朴子』(葛洪著、東晋、4世紀)にも、道士が風雨を自在に操る術について言及されている。
「仙藥之上者丹砂……服之可以役使風雨,驅策雷霆。」
——『抱朴子内篇』巻十一『仙薬』
これらの記述からわかるのは、「呼風喚雨」は宗教的・神秘主義的な文脈において語られるものであり、現実の政治家や軍人に帰属される能力ではないということである。諸葛亮がこのような能力を持つとされたのは、彼の死後、徐々に神格化されていく過程の中で、道教や民間信仰の要素が付加された結果であると考えられる。
唐宋時代以降の諸葛亮評価と神格化の進行
唐代以降、諸葛亮は忠臣・賢人の象徴として崇拝されるようになり、宋代に入るとさらにその評価は高まった。特に南宋の朱熹(しゅし)は、諸葛亮を儒教的理想的人物として高く評価した。この時期には、諸葛亮を祀る武侯祠が各地に建立され、彼に対する信仰が広まった。
『太平御覧』(北宋、983年成立)には次のような記述がある。
「諸葛亮嘗登城樓,望雲氣而知天時,故能預備水攻。」
——『太平御覧』巻三百二十八『兵部五十九・占候』
この記述は、諸葛亮が気象観測を通じて天候を予測していたことを示しており、「呼風喚雨」とは異なる、科学的・経験的な知識に基づく行動であったことを示唆している。つまり、彼は風や雨を「起こした」のではなく、「読んだ」のである。
さらに、『全唐詩』に収録された杜甫(とほ)の詩『詠懐古跡五首・其五』には、諸葛亮の智謀と忠誠を称える内容が含まれているが、そこにも超自然的要素は見られない。
「諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。
三分割拠紆籌策,萬古雲霄一羽毛。」
——杜甫『詠懐古跡五首・其五』(『全唐詩』巻二百三十三)
このように、唐宋時代の知識人層は諸葛亮をあくまで人間として敬愛しており、神秘化は民間レベルで進行していたと見るのが妥当である。
結論:諸葛亮に「呼風喚雨」の能力はなかった
以上を総括すると、以下の点が明確となる。
- 正史『三国志』には、諸葛亮が風や雨を操ったという記述は一切存在しない。彼は卓越した政治家・戦略家として記録されているが、超自然的能力は帰属されていない。
- 『三国志演義』における「東風を借りる」エピソードは文学的創作であり、史実ではない。これは明代の小説技法の一環として理解すべきである。
- 「呼風喚雨」という概念は、道教や陰陽思想に基づく神秘主義的表現であり、現実の人物に適用されるべきではない。
- 唐宋時代の文献からは、諸葛亮が天候を「予測」していた可能性は示唆されるが、「操作」していたという証拠はない。
- 諸葛亮の神格化は、死後数百年を経て、民間信仰や文学作品を通じて段階的に進行したものである。
したがって、諸葛亮が実際に「呼風喚雨」の能力を持っていたとする主張は、史実に基づかないものであり、むしろ彼の真の業績——すなわち、冷静な戦略眼、優れた統治能力、そして揺るぎない忠義——を矮小化しかねない誤解であると言わざるを得ない。