皇帝が一食をとるのにいくらかかるのか?

· 古代中国の長い流れ

中国の皇帝が一食につきどの程度の費用を要したかという問いは、単なる経済的関心にとどまらず、宮廷制度・礼制・政治権力の象徴性を理解する上で極めて重要である。


宮廷御膳制度の概要

御膳房の組織と役割

清朝において、皇帝の食事を担当する機関は「御茶膳房」(ぎょさぜんぼう)と称され、内務府に所属していた。この組織は、食材の調達、調理、供膳、衛生管理までを一貫して担い、その規模は数百人にも及んだ。

「掌儀司所屬,有御茶膳房,掌供御膳及內廷飲食之事。」
——『光緒朝欽定大清會典』巻八十一、内務府

この記述からも明らかなように、御茶膳房は単なる厨房ではなく、国家機構の一部として位置づけられていた。その運営には莫大な人件費・物資費が投入されていた。

食材の調達と献上制度

皇帝の食卓には、全国から選りすぐられた食材が貢納された。これは「歳貢制度」として整備されており、地方官が定期的に特産品を宮廷に送る仕組みであった。

「江蘇歲貢鮮鰣魚,限以端午前到京……荔枝、龍眼,閩粵歲貢,皆以冰鎮馳遞。」
——『養吉齋叢録』巻十四、吳振棫著(中華書局1985年版)

また、雲南からは普洱茶が常例の貢物とされていたことが同書巻十六に記されている。これらの食材は市場価格とは無縁であり、輸送コストや人命すら顧みられないほどの優先度で運ばれた。例えば、長江下流域の鰣魚は捕獲後ただちに氷詰めにされ、昼夜を問わず馬車で北京へ運ばれたという。


皇帝の一食にかかる実際の費用

規模と内容

皇帝の一日の食事は「早膳」「晚膳」の二回が基本であり、随時「伝膳」として間食も行われた。一回の御膳には数十種類の料理が並び、そのほとんどは一口しか食べられないことが通例であった。この点について、昭梿『嘯亭雑録』には「膳夫數百人,日備御膳」(巻二)とあり、規模の巨大さを示しているが、「帝僅食一二品」云々の具体的記述は見当たらない。よって、ここでは一次資料による直接的描写を避け、支出データに基づく客観的分析を行う。

経費の推計

具体的な金額については直接的な記録は少ないが、内務府の会計文書や『大清会典事例』に散見する支出明細から推測できる。

「乾隆年間,御茶膳房歲支銀十萬兩有奇,米麥豆等糧料萬石以上。」
——『大清会典事例』巻一千一百七十六(光緒朝刊)、内務府·經費

乾隆帝(在位1735–1796)の時代、御茶膳房の年間支出は銀10万両を超えていた。当時の銀1両は、庶民の労働者1人が数ヶ月生活できる額に相当する。これを単純計算すると、皇帝の一日の食費は約274両(100,000 ÷ 365)となる。さらに、これはあくまで「御茶膳房」の直接経費であり、貢品の調達・輸送・管理コストは含まれていない。

別の資料によれば:

「聞內廷日用三百金,而外間進奉不與焉。」
——『翁同龢日記』光緒三年正月十二日(中華書局1989年版、第2冊、698頁)

翁同龢(おう どうわ)は光緒帝の師であり、宮廷内部事情に精通していた人物である。彼の日記によると、光緒帝の時代でも一日の食費は「三百金」(銀300両程度)と記されている。これにより、乾隆期とほぼ同水準の支出が維持されていたことが窺える。


禮制と浪費:政治的意味合い

「天子の食」の象徴性

皇帝の食事は、単なる栄養摂取ではなく、「天命」を体現する儀礼行為でもあった。古代より、階級に応じた食制が定められてきた。

「諸侯無故不殺牛,大夫無故不殺羊,士無故不殺犬豕,庶人無故不食珍。」
——『禮記・王制篇』

この記述は、貴族階級のみが特定の肉類を日常的に消費できるという礼制を示しており、天子(皇帝)は当然ながら最も豊かな食膳を許される存在であった。清代においても、この思想は形式的に継承され、皇帝が大量の料理を前にしても少量しか食べないのは、むしろ「天子たる所以」を示すための演出でもあった。

浪費批判と改革試み

しかし、このような奢侈はしばしば批判の対象となった。雍正帝(在位1722–1735)は倹約を奨励し、御膳の規模を縮小しようとした。

「朕日用膳饌,從不尚豐侈……爾等當體朕心,力崇節儉。」
——『清世宗實錄』巻六十七、雍正六年四月

この勅諭に基づき、御茶膳房の人員削減や膳品の簡素化が図られた。ところが、この改革は長続きせず、乾隆帝の治世になると再び豪華絢爛な御膳が復活した。これは、皇帝の威厳を「可視化」する手段として、食事が不可欠だったことを示している。


結論:費用の本質は「見えざるコスト」

皇帝の一食にかかる費用を単純に「銀○両」と換算することは可能であるが、その本質は貨幣的価値以上にある。それは、

多層的な「制度的コスト」の集合体であった。したがって、皇帝の食費とは、王朝国家がその正当性を維持するために支払う「政治的投資」の一つとして理解すべきであろう。