霍去病と衛青、どちらの軍事的才能がより優れているか?

· 漢の時代

前漢武帝期において、匈奴との戦いは国家存亡をかけた最重要課題であった。この時代に活躍した二人の名将——衛青(えい せい)と霍去病(かく きょびょう)——は、ともに外戚として出世しながらも、卓越した軍事的功績を残し、後世に「漢の双璧」と称されるに至った。


一、衛青の軍事的特徴と実績

1.1 穏健かつ堅実な指揮官像

衛青は、その性格や戦術において慎重かつ組織的な指揮官として知られる。彼の最大の特徴は、大規模な騎兵部隊を統率しつつも、補給線の確保や退路の確保を常に念頭に置いた作戦展開であった。これは、当時の漢軍がまだ大規模遠征に不慣れであった時代背景を反映している。

『史記・衛将軍驃騎列伝』には次のように記されている:

「青為人仁善退讓,以和柔自媚於上。」
(衛青は人となり仁愛深く、謙譲を旨とし、柔和さをもって上(皇帝)に仕えた。)
——司馬遷『史記』巻百十一〈衛将軍驃騎列伝第五十一〉(中華書局、1959年、頁2939)

この記述からもわかるように、衛青は自己顕示欲の薄い、内向的で控えめな人物であり、その軍事行動にも無理をしない慎重さが反映されていた。

1.2 戦略的成功と制度的貢献

衛青は元朔二年(紀元前127年)の河南の戦いで白羊王・楼煩王を破り、河套地方を奪還した。この勝利により、漢は長城防衛線を大幅に南へ押し進めることができた。また、元狩四年(紀元前119年)の漠北の戦いでは、李広・公孫賀らを配下に率いて匈奴主力を撃破し、伊稚斜単于を逃走させた。

『漢書・衛青霍去病伝』にはこうある:

「遂至龍城,斬首虜七百級。」
(龍城に至り、首級および捕虜七百人を斬獲した。)
——班固『漢書』巻五十五〈衛青霍去病伝第二十五〉(中華書局、1962年、頁2477)

この戦果を契機として、漢は河南地を奪還し、朔方郡を設置して新たな前線基地を構築した。衛青の戦果は単なる戦闘勝利に留まらず、領土獲得・行政整備という国家戦略の一環として機能していた点が重要である。


二、霍去病の軍事的特徴と実績

2.1 奇襲と機動性を重視した攻勢戦術

霍去病は衛青の甥にあたり、若くして将軍に抜擢された天才的軍人である。彼の最大の特徴は、補給を軽視し敵地で糧食を調達する「因糧於敵」戦法と、高速機動による奇襲作戦であった。これは当時の常識を覆す大胆な戦術であり、しばしば周囲の反対を押し切って実行された。

『史記・衛将軍驃騎列伝』には次のように記載されている:

「驃騎將軍為人少言不泄……常與壯騎先其大軍。」
(驃騎将軍(霍去病)は寡黙で秘密を漏らさず……常に精鋭の騎兵を率いて本隊より先んじた。)
——司馬遷『史記』巻百十一〈衛将軍驃騎列伝第五十一〉(頁2943)

この記述は、霍去病の戦術がいかに革新的かつリスクの高いものであったかを示している。彼はしばしば大漠(たいばく)を越えて敵の腹地に突入し、匈奴の指揮系統を混乱させる戦法を採用した。

2.2 短期間での圧倒的戦果と祭天金人の鹵獲

霍去病はわずか数年の間に河西回廊を平定し、渾邪王・休屠王の勢力を壊滅させ、祁連山一帯を漢の支配下に置いた。特に元狩二年(紀元前121年)の西征において、彼は休屠王の宗教的象徴である「祭天金人」を鹵獲した。

『漢書』には次のように記されている:

「收休屠祭天金人。」
(休屠の祭天金人を鹵獲した。)
——班固『漢書』巻五十五〈衛青霍去病伝第二十五〉(頁2484)

この「祭天金人」は、匈奴が天に祈る際に用いる神聖な金製の偶像であり、その鹵獲は単なる戦利品の獲得ではなく、匈奴の精神的支柱を打ち砕く象徴的行為であった。この一事からも、霍去病の作戦が単なる軍事行動にとどまらず、心理戦・政治戦の側面を強く有していたことが窺える。


三、両者の比較分析

3.1 戦術思想の違い

衛青は「守勢的攻撃」、すなわち確実な補給と兵力集中による正面突破を志向したのに対し、霍去病は「攻勢的奔襲」、すなわち速度と奇襲による敵中枢の打撃を重視した。前者は長期戦・消耗戦に強く、後者は短期決戦・閃電戦に優れていた。

3.2 武帝の評価と報奨

武帝は両者をともに高く評価したが、その報奨の規模には差異が見られる。特に霍去病に対しては、その若さと戦果の大きさゆえに、異例の加増が行われた。

『漢書』には明確な記録が残されている:

「上以驃騎將軍功多,益封萬七千戶。」
(皇帝は驃騎将軍の功が多いのを見て、さらに一万七千戸を加増した。)
——班固『漢書』巻五十五〈衛青霍去病伝第二十五〉(頁2486)

この加増は、当時の外戚将軍としては前例のない規模であり、霍去病の戦果がいかに武帝の戦略目標に合致していたかを示している。

3.3 後世の評価と軍事史的意義

後漢の班固は『漢書』において、衛青を「持重で国を安んじる将」とし、霍去病を「鋭気溢れて敵を震慴させる将」と評している。唐代の史家・司馬貞も『史記索隠』において、「衛青持重、霍去病銳進」と対比し、両者の補完関係を強調している。このような評価は、単純な「優劣」ではなく、役割分担と状況適応性に基づくものである。


四、結論:軍事才能の本質とは何か

「軍事才能」という概念を、単に戦闘での勝利数や斬獲数のみで測るのであれば、霍去病の方が圧倒的である。彼の機動戦は、それまでの中国軍事思想に革命をもたらし、後の騎兵戦術の発展に大きな影響を与えた。

しかし、軍事才能を「国家戦略への貢献」「部下統率力」「持続可能な戦争遂行能力」といった広義で捉えるならば、衛青の堅実な指揮と制度的成果は、むしろより高い評価に値するであろう。