現代において「計画経済(planned economy)」とは、国家が生産・流通・消費などの経済活動を中央集権的に計画・統制する体制を指す。この概念は20世紀以降に顕著に発展したものであるが、古代中国、特に漢代(前206年–220年)においても、国家による経済介入や資源統制が行われていたことが知られている。
一、塩鉄専売制度:国家による重要資源の独占
1. 制度の概要
武帝期(前141年–前87年在位)に桑弘羊(そう こうよう)らが推進した塩鉄専売は、国家が塩と鉄の生産・販売を独占する制度であり、これは国家財政の安定化と軍事費調達を目的としていた。この制度は、民間の自由経済活動を制限し、国家が特定産業を直接管理する点で、「計画経済」の原型と見なしうる。
2. 古典文献からの証拠
『漢書』巻二十四下〈食貨志下〉には、専売制度導入の経緯が次のように記されている:
「於是以東郭咸陽、孔僅為大農丞,領鹽鐵事,而桑弘羊以計算用事。」
(『漢書』巻24下、班固撰、中華書局点校本、頁1179)
この記述は、塩鉄専売を担う官僚の任命と、桑弘羊が「計算(財政計算)」によって政権中枢に登用されたことを示しており、国家が経済政策を技術官僚を通じて計画的に運営していたことを裏付ける。
また、『鹽鐵論』〈本議第一〉には、専売制度の財政的必要性が明確に述べられている:
「邊用度不足,故興鹽鐵,設酒酤,置均輸,蕃貨長財,以佐助邊費。」
(『鹽鐵論校注』、桓寛編、中華書局、1992年、頁3)
ここで「酒酤」は酒の専売を指し、「均輸」は物流統制制度である。これらがすべて「邊費(辺境軍費)」を補填するために導入されたとされ、国家戦略の一環としての計画性が窺える。
二、均輸法と平準法:物流と価格の国家統制
1. 均輸法の機能
均輸法(きんゆほう)は、地方から中央への貢納物の輸送方法を合理化し、余剰物資を他の地域で売却して財政収入を得る制度である。これにより、国家は物資の流れをコントロールし、地域間の需給バランスを調整することが可能となった。
2. 平準法の役割
平準法(へいじゅんほう)は、市場価格が高騰した際には政府が備蓄品を放出し、逆に価格が暴落した際には買い入れることで、価格の安定を図る制度である。これは現代の「価格支持政策」や「戦略的備蓄制度」と類似しており、国家による市場介入の典型例である。
3. 古典文献からの裏付け
『史記』巻三十〈平準書〉には、これらの制度の導入目的と効果が詳細に記されている:
「置平準於京師,都受天下委輸。召工官治車諸器,皆仰給大農。……故富商大賈亡所牟大利,則反本,而萬物不得騰踊。」
(『史記』巻30、司馬遷撰、中華書局点校本、頁1437)
この記述は、平準官が全国の物資流通を統括し、大農(国家財政機関)が工官の支出を賄うことで、富商大賈が投機的利益を得られなくなり、物価が安定したことを示している。
さらに、『漢書』食貨志下には、均輸・平準の一体的運用について次のように記されている:
「大農諸官盡籠天下之貨物,貴即賣之,賤則買之,如此富商大賈亡所牟大利,則反本,而萬物不得騰踊。」
(『漢書』巻24下、頁1180)
ここで「盡籠(すべて掌握する)」という表現は、国家が市場を意図的に操作していたことを明確に示しており、計画経済的な統制の本質を捉えている。
三、常平倉制度:価格安定と災害対応の国家備蓄
1. 制度の成立と機能
常平倉は、宣帝期(前74年–前49年在位)に耿寿昌(こう じゅしょう)が提唱した制度で、穀物価格が安価な時期に政府が買い上げ、高騰時に放出することで、農民と都市民の双方を保護するものである。これは緊急時の物資配分メカニズムとして、計画経済的要素を有する。
2. 文献的根拠
この制度は『漢書』には記載されていないが、唐代の杜佑が編纂した『通典』巻十二〈食貨十二〉にその起源が詳述されている:
「壽昌遂白令邊郡皆築倉,以穀賤時增其價而糴,以利農;貴時減價而糶,以利民,名曰常平倉。」
(『通典』巻12、杜佑撰)
この記述から、常平倉が単なる救荒策ではなく、価格メカニズムを国家が意図的に操作する計画的政策であったことが明らかである。漢代後期にはこの制度が全国に広がり、国家による経済安定化の重要な手段となった。
四、土地政策と戸籍制度:経済基盤の国家掌握
1. 名田制と戸籍管理
漢代では、土地所有(名田制)と人口把握(戸籍制度)を通じて、租税と労役の徴発が行われていた。特に戸籍制度は、各戸の年齢・性別・職業・資産を詳細に記録し、国家が人的・物的資源を正確に把握することを可能にした。
2. 政策の計画性
この制度は、単なる行政記録ではなく、国家が経済資源を計画的に動員するための基盤であった。『漢書』百官公卿表には、戸籍管理を担う官僚組織の構成が記されており、その規模と精密さが窺える。戸籍と土地台帳(名田簿)の連動により、国家は租税負担能力を精緻に算定し、経済政策を実施することができた。
五、結論:漢代経済政策の「計画性」とその限界
以上のように、漢代、特に前漢武帝期から宣帝期にかけて、塩鉄専売、均輸平準、常平倉、戸籍制度など、国家が経済活動を計画的に統制・介入する多様な政策が実施されていた。これらは、現代の「計画経済」と完全に同一ではないものの、国家が経済資源を戦略的に管理し、社会秩序と財政安定を図ろうとした点において、明確な「計画経済的要素」を有していたと言える。